キャラクターシール(令和2年弘前市医師会報掲載)

河内小児科内科クリニック 河内暁一

 

子どもはキャラクターシールが大好きです。私の診療所では診察室の中待合に10数個のポケットがついた壁かけを置いてあります。

そこにキティちゃんや、シナモンロール、ケロッピー、おさるのモンチッチ、新幹線、怪獣など子どもたちに人気のキャラクターが描かれているシールを入れております。

子どもは不安や、以前のつらい思い出からか、ぐずったり、泣き出したりして、なかなか診察がスムーズにゆかないことがあります。

そのような際このシールは絶大な効果を表します。

医学部の学生が実習に来ていた時、泣いてむずかる子に「キティちゃんのシールをあげるから、もしもしさせてね」とシールを手渡すとぴたりと泣きやみ、学生が驚きの声をあげたこともあります。

「かわいいシールなのでわたしも一枚もらえますか」と言った感じの良い学生もいました。

3歳くらいの子どもが「お利口さんにしていたらシールもらえるんだよね!」と母親に尋ね、母親が「そうだよ!頑張ろうね」こんなやり取りも見られます。

このシールを用意してから、長年小児科医をやってきても気づかなかった子どもの色々な特性を知ることができ、子どもへの理解が深まったような気がしました。

多くの中から好きなシールをすぐに決める子、なかなか決められなくて悩む子。一度決めたものの心変わりする子、どうしても一種類に決められなくて、私のところに2枚もらっても良いかと聞きに来るしっかりした子。

これは00ちゃんの分、これはXXちゃんの分と、まだ生まれたばかりの自分の弟や、10歳にもなっている姉の分と称して何枚も選んでゆく子もいる。幼稚園のお友達の分と言って一つのポケットにあるシールを全部持って行く子。すべてのポケットから一枚ずつ持ってゆく子。

その子その子で選ぶ基準があるようですが、いつも同じシールを選ぶ子もおれば、毎回違うものを探す子もいます。一卵性双生児でもシールの好みは違うようで、同じシールを選ぶとは限らないこともわかりました。

男の子には新幹線とかケロッピーとか、動物、怪獣、ロケットなどのシールを。女の子にはキティちゃんとかシナモンロールとかをあげようとすると、女の子でも弟にあげた男の子用のシールが欲しいと言って、弟から取り上げるお姉ちゃんもいます。また男の子もキティちゃんのピンク色をしたシールを欲しがる場合もあり、大人の考えで選ぶものが必ずしも子どもの好みとは一致しません。

さらには気をきかせてポケットに季節に合わせたシールを用意しておいても、色合いとキャラクター次第で選んでいるようで、大人の季節感は関係ないようでした。

しかし珍しい新しいシールを置くと、さすがにみんな目ざとく、あっという間にそのポケットだけ無くなってしまいます。母親が「これあたらしいよ!これにしたら」と言うと、子どもが(4歳女児)「いいから!自分で選ぶ!!」こんな会話を耳にすることもありました。

ポケットが10数個ありますが、あちこちのポケットが空になってしまうと、残っているものから選ぶことになります。一番好きなものがなくても、次善の策を選ぶという妥協をしている事が伺われます。

とにかく見ているとその多彩さに感心するばかりです。

最近は診察前にすでに好きなシールを握っている子も多く、シールのおかげで意外なほど診察で泣いている子は少ないようです。注意はしていますが、ありがたいことに今まで事故らしき事態はありませんでした。

 

ほんの少し前に還暦を迎えた感想を弘前市医師会報に載せていただいたと思っていたら、あっという間に7回目(6回目と数える説もあるようですが)の年男になってしまいました。

人生70年も過ぎると過ぎ去ったことは振り返らずに、前だけを向いて進んで行くには前が短かすぎ、いろいろなことがあったなーと振り返ることが多くなります。

人生は選択の連続だったと今さらながら思います。

それぞれの選択にはその時点では説明可能な理由(らしきもの)はあったと思います。

しかしのちに振り返って、その時なぜその選択をしたのか判然としない事も数多くあります。

広辞苑によると選択とは「選ぶこと」とありますがその後に「良いものを取り、悪いものを捨てること」と言う文章があります。さて私の今ある姿は、良いものを取り、悪いものを捨てるという選択をしてきた結果なのだろうか?

物事を選択する際、好みで選ぶ、感性で選ぶ、実利で選ぶ、仕方なく選ぶ、時には若い頃のトランク病院のように選ぶ機会もなく決められてしまうなど、様々なケースがあるでしょう。

子どものシールの選び方を見ているとひとは人生の中で数限りなく、小さなまたは大きな選択をしているのだと、ふと気づかせてくれます。

自由に選択できるということはありがたいことで、選択が制限される社会、国家などもあるのだと、想いが急に大きく発展してしまうこともあります。

物事を決める方法の一つにあみだくじと言うのがありますが、次から次へと線を進んでゆく途中で、もし横棒が一本加えられただけで、最終結論は全く違ったものになります。

その一本の横棒と言うのが人生においては予測不能のものであることが多く、自分の病気、怪我であったり家族の予期せぬ出来事であったりもします。

もしもう一度人生があったとしたら、節目節目での選択機会の多さからいっても、同じような人生を歩むことは考えられないでしょう。亡くなった母が言っていましたが私は子どもの頃小児科医を大変てこずらせ、血を見るのが大の苦手で、鼻血が出ただけでも気を失うほど気が弱かったようです。また全く文科系の人間であったはずの私が、なぜか医者になり、さらには小児血液学を専門にするとは、どんな選択の結果なのかと思うこの頃です。